関係者からのメッセージ

2010年5月21日

青春の方眼紙

元・科学観測(カメラ)及び広報担当 寺薗 淳也

いまでも目に焼き付いている、研究の一シーンがある。
学生時代、ある日の研究室。お茶のみ部屋に入っていくと、机の上に、工作用の方眼紙が置いてあった。先生たちがはさみを持って、なにやら突如として工作をはじめている。
最先端科学の研究所で始まった子ども工作教室、ではない。そこでは、いろいろな形を作って、後に「はやぶさ」と呼ばれる探査機、MUSES-Cのサンプリング機構を実証しようとしていたのだった。熊手のような形はどうか。ショベルのような形はどうか。紙で作っては手に持って議論し、改良すべき点を考える。
無骨で非効率といわれるかも知れないが、そのような検討から、小惑星の土を採取して地球へ持ち帰るという、途方もない計画が進んできたのだ。
当時の私は、巨大な小惑星探査計画へつながるものという実感も抱かず、ただ面白そうだというだけで、のりとはさみを握って、その中に加わっていった。

それから十数年…。世紀の数字も変わった。そして方眼紙のサンプラーは実物となり、3億キロ彼方へと旅立っていった。 私は学生から宇宙技術者となり、事務職員を経て、そしてやがてJAXA広報担当の職に就いた。研究者としては異色の経歴かも知れないが、私の科学者・技術者としての経験をもとに、宇宙科学を広く多くの人に知ってもらえる、ということは、私にとってこの上もない喜びだった。毎日毎日の仕事は輝くように楽しかった。
2005年11月のその夜、歴史的な瞬間に立ち会うため、再びあの日の研究室…相模原、宇宙科学研究所にやってきた。ブログにより小惑星のタッチダウンを生で伝えるというミッションであった。

かつて研究のために夜を明かしたこともある、その白い建物は、そのときも昔のままであった。違っているのは、方眼紙がいまや3億キロ彼方に向かい、データを送り、命令を実行し、サンプルをとってこようとしているのである。
こういうとき、人間というのは、あまりにもすごいことに対しては実感が湧かないものである。あるいは人生を重ねて、宇宙開発の大きさ…探査機も、ロケットも、予算も…に慣れすぎてしまったのか。…いや、これではいけない。私の今日(から明日)の仕事は、この世紀の一瞬を多くの人たちに伝えること。ブログという形での順リアルタイムでの実況は、私にとっても大きなチャレンジであった。
その場で起こっていることをどう伝えるか。そして、「伝えてはいけないこと」が起きたとき、どのように情報をつないでいくか。ただ「しばらくお待ち下さい」ではユーザーの皆さんは決して満足しない。この「はやぶさ」のために、一緒に夜を明かして下さるユーザーの方に満足していただけるような実況をどう行っていくか。妙案はなかった。信じるのは、私のこれまでの広報での経験、そして、一緒に席に座って下さった、カメラ(Amica)のPIでもあり私の長年の友人でもある、齋藤潤さんとの感覚共有だけであった。

栄養ドリンクの瓶が並んだり、突然クイズが入ったりするというアイディアは、別に何日も練った末に出てきたものではない。むしろ、その場にあるすべての素材を使って「何とか間を持たそう」「ユーザの皆さんに満足していただこう」という、かなり直感的な行動だった。
情報提供の時間が空いてしまえば皆さん心配するだろうし、あまりに長ければその心配は不信感に変わる。一方で、宇宙研の管制室は面白いものに満ちている。「普通の人の感覚」で捉えればきっと面白いものはいっぱいある。広報のプロフェッショナルという私と、一般の視点を持つ私。2つの人格を頻繁に入れ替える作業を夜明け前の体で行うというのは、確かに栄養ドリンク抜きでは不可能だったかも知れない。
朝方、サンプル取得成功(らしい)の報に湧く管制室、その裏にあるブログ更新の詰め所で、淡々と記事を打ちつつ、その手が感動と畏怖の念で震えているのがわかった。私たちはいま、これまで誰も成し遂げてこなかったことをやってのけたのだ。誰かがやったのではない。「私たち」なのだ。その一瞬にいま私は立ち会っている。

私は、広報も、ミッションの一部だと思っている。技術的な貢献、というのはないと思われるかも知れない。しかし、ユーザの心をつかみ、正確な表現で情報を伝えるというのは、それ自体が高度な技術である。
感動させる、というのは広報ではない。しかし、起きていることを淡々と伝えると同時に、伝えられることをできる限り伝える、という姿勢を貫けば、それはやがて感動につながっていく。愚直、という言葉があるが、まさに広報も愚直を貫くという技術だ。私は、「はやぶさ」という高度な探査機の技術の中に、広報も加えたいと思う。自分自身のことで恐縮ではあるのだが、日本の宇宙開発における広報を変えてきた、と自負しているからだ。
それはこのタッチダウン広報だけではない。2004年5月の地球スイングバイでは、当時H-IIA-6号機の失敗で意気消沈していたJAXAの人たちを奮い立たせることができた。「はやぶさ君の冒険日誌」は、NASAですら考えつかないアイディアで、宇宙と無縁だった人たちを虜にした。探査機が擬人化された動画があふれるという文化は外国の惑星研究者を仰天させる。広報が人を変え、人が文化を創った。その積み重ねはやがて、国をも変えていくだろう。

いまは大学教員として、長年住み慣れた東京を離れ、「はやぶさ」に関連したデータ処理、そして情報科学の教育にも関わっている。若い人たちには、技術を学ぶことの大切さを伝えているが、それはきっとあのときの方眼紙工作教室にも通じているのだろう。
「やつ」はまもなく地球に帰ってくる。幾度もの「奇跡」を成し遂げて戻ってくる。しかしその「奇跡」は、淡々とした技術の積み重ねによって成し遂げられたものだ。
人は技術を作り、技術は人を作る。その蓄積は、これからの日本の月・惑星探査に大きな力になっていくはずである。

「はやぶさ」とのつきあいは、私の人生の半分近くを占めてしまった。本体が燃え尽きる火の玉を、もしオーストラリアの砂漠で眺めることができたとしたら、私はきっと、そこに走馬燈のごとく、青春のひとときをみるだろう。一粒の涙を流しながら…


筆者紹介

寺薗さん(通称:テラキンさん)は、月・惑星探査における科学解析の専門家です。「はやぶさ」はカメラチームに所属して研究を進める傍ら、2004年5月の地球スイングバイ、2005年11月のタッチダウンの際の広報活動を指揮しました。「あの」栄養ドリンクで有名になった人です。
月・惑星の知識や探査計画を紹介するサイト「月探査情報ステーション」(http://moonstation.jp)の編集長を努め、月・惑星探査に関する普及・啓発活動を続けています。現在は「かぐや」で得られたデータを研究者が使いやすくする解析環境作りも担当しています。(IES兄)

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