関係者からのメッセージ

2010年5月27日

ひとつの探査機の最後

カプセル方探2班 班長 関 妙子

6月にオーストラリアに直接出向く回収隊メンバーは、年齢も経歴も専門分野も、実に様々な人々で構成されています。「はやぶさ」プロジェクトに最初から関わっていた方もいれば、回収フェーズになってから参加したメンバーもいます。かく言う自分も、ほんの一年前までは外野から応援する一人のファンにすぎませんでした。スイングバイ、タッチダウン、通信途絶、そして救出…大きなイベントのたびにプレスリリースを見ては、一喜一憂していました。まさか、回収隊の一員となって頭にヘルメット、足には安全靴、脚立に上り、片手にレンチを持ってアンテナを組立て、真夜中のウーメラの砂漠で「はやぶさ」の届け物を探すことになるとは、思ってもいませんでした。ふとしたことをきっかけに得られる、またとない経験。人の縁というのは不思議なものです。

「はやぶさ」がM-V-5号機で内之浦から宇宙へ出発したのは、2003年5月9日のこと。その頃、私は大学院生で、就職活動の真っ最中でした。宇宙業界を志望していたのですから、当然「はやぶさ」打上げ成功のニュースなど目にしているはずですが、なぜだか一切記憶にありません。この年は、2月1日にスペースシャトル・コロンビア号の事故があったばかりでした。おそらくそちらのほうがインパクトが大きかったのでしょう。
あれから7年が経ちました。もうすぐ地球に帰ってきます。

2004年4月、JAXA発足後の宇宙研に配属されて間もない頃、太陽観測衛星「ようこう」の運用を見学する機会がありました。管制室には多くの人が集まっており、何やら緊張した雰囲気の中待っていると、追跡局から入感の連絡。しばらくデータチェックなどしたのでしょうか、この辺はもうあまり覚えていませんが、そのうちオペレータがコマンドをいくつか送信し、衛星から出ている電波を止め、「停波」を確認。
10年以上続いた「ようこう」の、最後の運用でした。
集まっていた方々は皆、感慨深げな表情をしていました。
入社したての私は、「ひとつの衛星が終わるのを見たんだな」と思っていました。

でも、それはちょっと違ったのです。

1年5ヵ月後の2005年9月12日。
「はやぶさ」、小惑星イトカワに到着。

同日。
「ようこう」、大気圏再突入、消滅。

衛星の本体がなくなるという決定的な最後は、イトカワ到着の興奮の裏側で粛々と進んでいました。
そして、今度は「はやぶさ」にもその瞬間が近づいています。
しかも、我々の目の前で起こります。
最後の運用から消滅までの時間は長くないはずです。
心の準備は出来ていますか?

方向探査班の第一の役割は、電波によってカプセルの落下地点を特定することですが、再突入時に空力加熱によって発光する「はやぶさ」とカプセルを目視確認する、という役目もあります。用意万端整えて、その瞬間を待つつもりです。


筆者紹介

関さんはカプセル回収隊の一員ですが、普段は通信・データ処理グループに所属し、衛星に搭載するデータレコーダや画像処理装置など、データ処理系機器の開発に携わっています。

大学時代には「あけぼの」の運用当番で宇宙研に来ていたこともあるそうです。また、豪州でソーラーセールのロケット実験にも参加しているという、宇宙研と縁の深い方です。(参考:http://bit.ly/bUXraG)(IES兄)

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