関係者からのメッセージ

2010年6月13日

~道~

電池屋~方探班の一隊員として~ 曽根 理嗣

僕達のチームは方探班と呼ばれている。
カプセルが出すビーコンを捕らえて、着地点を絞り込むことが仕事だ。各班3人+1人体制で、3人が豪州の大地に展開し、1人は本部に残る。こういったチームがいくつか編成されて、各所に散っていく。

6月1日、僕達は、とうとう成田空港を発った。遂にこの日が来た。まだ予断は許されないのだろう。でも「はやぶさのカプセルを持ち帰る」という大義のために豪州にむかえることがうれしかった。
6月2日、豪州着。シドニー経由、アデレードへ。アデレードからは陸路でポートオーガスタまで移動。そうだ、この道を、ちょうど一年前も通った。景色が懐かしい。メンバーの中でも昨年の豪州での訓練に参加した者は多くはない。初めて豪州に来たメンバーは、周りの風景に感動しているようだった。僕は、もう一度、去年からブレていない同じ目的のために同じ道を通っていることにシビレていた。ポートオーガスタで、僕達は中華料理を食べた。しばらく、こういう食事は食べられない。
6月3日、ウーメラに着いた。みんな、同じことを言っていた。「とうとう、来たね。」

慌ただしく、日本から送っておいた荷物の確認と、各方探局への移動の準備が進んだ。

6月5日、各班は、持ち場である方探局を設置するために、散っていった。制限地域での作業になるので、現地のエスコータの方達がチームに加わった。
次にみんなで顔を合わせるのは15日。うまくカプセルの位置を絞り込もう。その後は、ヒートシールドの回収も待っている。兎にも角にも体が勝負の今回の出張。
皆、持ち場に散っていった。

移動先では、早々にアンテナの組み立てを開始。各方探局間の連携した訓練が始まるまでに、準備を完了する必要がある。幸い、想像していたほど砂漠ではなかった。ステップ気候という感じだろうか。潅木が草原や背の低い木の中に立っている感じの場所だった。
基本的に、各班は2つのアンテナを立てる。カプセルを追尾するためのDFSアンテナと、方位の基準をとるためのコリメタワー。二つのアンテナの距離は200m。作業の中では、必ずこのアンテナ間を行き来する作業がある。
何度も、この間を往復しながら、作業が進んだ。

日々、粛々と訓練が進んだ。日中の訓練の後は、夜間の実時間を想定した訓練。訓練の合間に夜空を眺める。地平から少し上がった南天には、大マゼラン星雲が見える。凄い。東の地平線から西の地平線まで、天の川がつながっている。
「星が降るようだ!」
金星が赤い色をして地平に沈んでいく。
訓練は深夜に終わった。
各班はアンテナそばに用意されたキャラバンカーの中で夜を明かした。
「良かった、ウチのキャラバンにはエアコンがついている。」と思ってよく見ると、クーラー機能しか無かった。「だいたい、電気が無いんだからヒータ機能があっても意味はないか・・。」

こんな時、佐渡○造ならばヤマトカクテルでも作って体を温めるのだろうけれど、この制限地域ではお酒が禁止。
寒さは、寝袋と防寒着と、「熱い心」で凌ぐしかない。
寝袋に包まって夜を明かした。寒い。足の先がしびれる。
朝方、目を覚ました時、顔は冷たくなっていた。トイレに行きたい。キャラバンの後ろには簡易トイレがある。でも・・・・我慢しよう。正直に言って、「怖い。」
もう少しで日の出だ。お日様が上がるのを待とう。
太陽は地平線から上がる。3人全員が起きだして、日の出を見た。メンバーの一人が「ツラツストラはかく語りき(音楽)」を口ずさんでいた。確かに、「2001年宇宙の旅」のオープニングに出てくるDawnの光景だった。
そして今日。カプセル・リエントリー日を除く、最後の訓練メニューを終了した。ヘリコプターに乗せたビーコン発信機の追尾試験だった。
終わった。兎に角、終わってしまった。後は、ビーコン音を聞き取る耳と、データを見る目と、勘が頼り。人事は尽くした。後は天の采配か。

はやぶさ帰還まで、あと3日。

コリメタワーとDFSアンテナの間には、道が出来た。

道

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