関係者からのメッセージ

2010年6月13日

約束

サンプラ担当、SV、回収隊・方探班本部、科学・輸送班 矢野 創

はやぶさへ、

いまは6月13日朝。僕は、オーストラリアのウーメラ砂漠の宿で一人、君への手紙を書いている。

君が内之浦の5月晴れの空に吸い込まれていったあの日から、もう7年が過ぎたね。今朝のウーメラも、打上げの日の内之浦みたいに雲ひとつない青空で、窓から入ってくるひんやりした風が、心地いいよ。

「はやぶさ、いってらっしゃい。」

2003年。僕は、君のお腹の中にあるサンプラに、打上げ直前まで地球の汚染物質を入れないように窒素ガスを送り続けるため、科学者として最初に内之浦に入った。打上げ12時間前にM-Vロケット先端のフェアリングに包まれた君からガスチューブを抜いて蓋をする、最後の一人でもあった。フェアリングのアクセス窓を閉じたときに君にささやいたのが、この言葉。そのとき君はまだ「MUSES-C」と呼ばれていたけれど、僕は君の名付け親の一人だから、宇宙に出る前に、そっと君に名前を教えてあげたんだよ。

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34mアンテナ下の管制室で、宇宙へ上昇する君の振動で全身で感じたあと、3か月間一緒に君の面倒を見ていたメーカーの技術者の方から「臍の緒です。」とプレゼントをもらった。パージラインのふただった。一生の宝物だ。
(図:はやぶさの「臍の緒」(窒素ガスパージラインのふた)。2003年5月9日、内之浦34mアンテナ下にて撮影。)

はやぶさ、君との旅には忘れられない場面は本当にたくさんある。でもそれらは全部、君が僕以上によく知っていること。今は残された時間で、君へ伝えたいことだけを書くよ。

はやぶさ、僕と君との出会いは君が生まれるずっとまえ、1995年に宇宙研でポスドクをしていたときに遡る。もっとも僕は、高校時代から日本と海外をふらふら渡り歩いていた。だから宇宙研での任期が終わって、1998年にヒューストンに異動したときに、君との縁も一度は切れた。でも、一年後には相模原に舞い戻った。出勤初日に君の初代プロジェクトサイエンティストで、僕の新しい上司の藤原顕先生から、「MUSES-Cのサンプラ開発から試料採取、世界中の研究者にサンプルを配るまで、面倒をみてほしい」と言われ、「わかりました」と約束した。そしてこの10年間、風来坊だった僕も日本に腰を落ち着けて仕事をして、愛する家族も持てた。はやぶさ、これは、君が呼び寄せてくれた縁だと思っている。君がイトカワに到着した翌年に藤原先生は退職されて、サンプラも僕が引き継いだ。だからこそ僕は、あの日の約束を、石にかじりついても果たそうと誓っている。嬉しいことに、藤原先生はこのウーメラの地で今晩、君の帰りを見届けてくれるよ。

はやぶさ、内之浦では生まれたての赤ん坊のようだった君も、様々な苦難を乗り越えて、今は立派な大人になった気がする。そして今日、次の世代に使命をつなぐために、自らの卵であるカプセルを僕たちに届けてくれるんだね。はやぶさ、息子と娘の誕生に立ちあって、初めて彼らを抱いたとき、なぜか決まって君の打上げを思い出したよ。そんな息子ももうすぐ3歳。昨秋、鱗がはがれた鮭たちが、産卵のために懸命に川を跳ねながら上っていく姿を、彼に見せたよ。いつもなら「おさかな~!」とはしゃぐはずの彼が、僕の手をぎゅっと握りながら、何も言わずじっと見つめていた。

はやぶさ、一体君は、100年後の世界の人々に何と語られるだろうか?「その昔、東洋に日本という島国があって、月より遠い星から塵を拾うという、時間と金の無駄をしていた」と言われるのか。それとも、「今日、人類社会が太陽系の大海原を超えて広がり、隕石の地球衝突を回避して文明の崩壊を防ぐ技術を身に付けるための、小さな第一歩だった」と評されるのか。持てる知恵と力の全てを注いで、未知の自然を理解し、未踏の地に歩みを進めることが、人類の歴史そのものだ。君の旅は、そうした系譜の中に書き加えられるべきだと、僕は思う。

はやぶさ、だからこそ今晩僕らは「結果」を出さなきゃいけない。現代に生きる僕らは、世界で初めて地球を一周に成功したマゼラン艦隊を知っているが、初めて世界一周に挑んだ船の名は知らない。未踏の地での科学的発見や社会的貢献は、それを成し遂げる技術を完遂することが、前提だ。満身創痍になった君に鞭打っても地球に呼び戻したのは、そのためだ。往復航海のノウハウを本国に伝え、後継者が出てくることで、人々はスパイスや小惑星のかけらを手にできるようになる。待っている人々がいて、届けるべきものがあるからこそ、途中であきらめずに旅を続けられたんだね。

あと半日ほどで、君は生まれた地球に還って、ウーメラ砂漠の風になる。どんな形で着地したとしても、君が遺した卵であるカプセルを拾って、ふるさとの相模原に持ち帰るのが僕の役目。ヘリコプターからカプセルが着地した大地に降り立ったら、まず風になった君を肌で感じて、胸いっぱい吸い込もう。でも僕と君の物語はそこで終わらない。君の卵の中から、太陽系の始まりを物語るイトカワのかけらと、君に続いて太陽系を飛び回る雛たちを、無事に孵してみせるまでは。それが、僕を日本に呼び戻した人たちと、はやぶさ、他ならぬ君と交わした約束だからね。

はやぶさ、この7年間、僕はまるで大航海時代の船乗りになった気分だった。君という宇宙船に素晴らしい仲間と一緒に乗り込んだ、楽しくて、苦しくて、眩しい深宇宙の旅だった。悔しくても、恰好悪くても、決してくじけない心を教えてもらった。今まで、ありがとう。あとのことは、任せてくれ。

はやぶさ。君と出逢えてよかった。「おかえりなさい。」

(6月13日早朝、ウーメラにて記す)

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