関係者からのメッセージ

2010年6月18日

7年越しのラストショット

マルチバンド分光カメラ(AMICA)チーム 十亀 昭人(東海大学)

「はやぶさ」の打上げが迫った2002年、私は「はやぶさ」AMICAチームのリーダー齋藤潤氏から呼び出されました。
彼は私のかつての上司であり、私が東海大学に移った後も懇意にさせて頂いておりました。その彼からおもむろに「実は、君にしかできない仕事がある。AMICAのカメラ性能を試す最後の試験をするための小型の積分球を作って欲しい」と告げられました。

「君にしかできない」とは、私のものづくり魂に火を着けるために、幾分、“ゲタ”を履かせた言葉であったとは思いますが、そう言われて意気に感じない訳にはいかず、どのように作るのかも分からぬまま、ふたつ返事で「私でよければやらせてもらいます」と答えていました。

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打上げまでに残された期間は僅か数ヶ月。その間に何としても使用に耐える精度の積分球を製作し、更には、「はやぶさ」での試験を成功させねばなりませんでした。もちろん外注でどこかの会社に発注する猶予などなく、自らの足で材料集めから始めることとなりました。街の模型屋などを回るなか、量産された同一の材料であってもその精度が個々に全く違うことが分かり、最も適した「一品」を求めて探しまわったりしたこともありました。製作にあたっては紆余曲折ありながらも、チームリーダーの同氏、石黒正晃氏(現ソウル大)、長谷川直氏 (JAXA)ら多くのサポートを受けながら何とか完成にこぎつけたのです。

おぼろげな光を放つ提灯のようなその積分球を持ち込んでの試験は今でもはっきりと覚えています。それはまさに、「はやぶさ」の最後の視力検査ともいえるものでした。相模原での試験の後は、更に鹿児島内之浦まで運びデータを取得しました。私たちは、人類未踏の地を見ることとなるそのカメラに最後の最後までできる限りの力を注いだのです。その結果、私たちAMICAチームは出発直前の貴重なカメラデータを取ることに成功いたしました。

「はやぶさ」には、本当に多くの方々が関わっていました。私は、その技術ひとつひとつに込められた研究者や、技術者の発想、工夫、そして執念ともいえるものが、「はやぶさ」を成功へと導いたのだと思います。

2010年6月13日、私は7年間の思いを込めて「はやぶさ」の帰還を見守りました。2003年に内之浦から見送ったあの「はやぶさ」が、数々の世界初を成し遂げて今まさに帰ってこようとしている。それはとても感動的なものでした。その「はやぶさ」は、カプセルの分離とともに、最後の最後に世界を感動させる1枚を撮ってくれました。それはまるで涙で霞んだようにも見える地球の「7年越しのラストショット」でありました。

地球に戻ってきてくれて、本当にありがとう、はやぶさ。


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