関係者からのメッセージ
2010年5月10日
ほんとうに帰ってくる...
はやぶさカプセル 山田 哲哉
カプセルの再突入というのは、いつも最後にやってくる。だれも打ち上げの最初に再突入させたりはしない。カプセル屋としては、そういうものがあっていいと思うのだが、打ち上げの時に再突入するのはだいたい失敗であるし、そうかといって千年先まで再突入して来ないカプセルもうまくない。いずれも経験してきた。それが、今回はもうすぐ本当に「はやぶさカプセル」が帰ってくる。ああ、ついにこの瞬間が来るのだ。
中学生の時のクラス対抗リレー。バトンを渡された。アンカーに引継ぐ係だ。夢中で走った。競っていたと思う。自分は速いつもりだった。でも、コケた。あろうことか、本番で。
去年の11月のことだ。
「ダメだ。どうも命もここまでだ。ワリぃな。ワルかった。カプセルまで届きそうもない。」
いつも偉そうなK先生に謝られちゃうと、事実の認識ができずに頭の中がセーフホールドモードに入ってスピンし始める。かけるに気の利いた言葉は思いつかない。
「つまんないギャグ言ってないで、たまにはベッドで寝て下さいよ。僕はミット持って下で待ってるからさ。適当に落としてくれりゃ拾うから。」
はやぶさを通じていろいろ勉強させてもらった。耐熱材料開発、大気飛行解析、探査機の運用、外国と調整しての計画策定。一緒に悩んだ。意見が合わず喧嘩した。うまくいって笑いこけた。これだけでも僕には宝物だ。いい思い出だ。仮にもう戻って来なくても、誰も責められない。皆がんばって来た。でも、でも...
でも、はやぶさは復活した。結構、すごく、あきれるほどしぶとい。しぶといのは、諦めない2人のK大先生らをはじめとするプロジェクトの仲間たち。その後、順調にイオンエンジンは巡航フェーズの役目を果たし、2度の軌道修正マヌーバも成功裏に成し遂げられている。ISASニュース: No.308 > はやぶさ近況「果報は寝て待て…再突入カプセル」で「2010年の予言書」よろしく描いたその瞬間がやって来つつある。でも、打ち上げの時もそうだったが、いざ「その時」が来ると怖くて仕方がない。念には念を入れて皆でカプセルの確認を行って探査機に取り付け、M-Vのノーズフェアリングに収納したものだが、打上げ日が近づくにつれ、何か忘れ物はないか、不安は消えない。「え、天候不順で打上げ延期にならないの?このまま予定通り本当に打ち上げちゃうの? え、まじ?、本当、いっちゃうの??」 でも、M-Vは無情(?)にも打ち上がっていった。夜中に不安になって駐車場に行っても車のドアが閉め忘れられていたことはない。あれと同じで、きっと大丈夫なんだと思う。「はやぶさ」が飛んでいるのは1,700万km弱で駐車場より十分遠い。調べられることはテレメータを通してのみで、項目も限られる。でも、耐熱材料も開傘シーケンスも、7年前に「カンペキなもの」ができているはずだ。電池だって問題ない。再突入まで、着地点を正確に計算したり、パラシュート開傘までの時間やアンカーの分離/非分離を決心してコマンドを打ったりする。もう腹をくくってベストを尽くすしかない。
いろいろあって帰還が3年のびた。全部で7年のミッションだ。長かった。その間、宇宙戦艦ヤマトもガンダムも知らない若い世代がチームに入って頑張ってくれてるし、当時「もう、若者でない」の言葉に躍起になって抵抗していた僕らも「カンペキ中年」という言葉を甘受して抵抗する気は微塵もない。確実に月日は経っているのだ。そして、世界初の小惑星サンプルと、「はやぶさ」を開発してきた皆、検討・運用をしてきた皆、応援してきて下さった皆の沢山の想いを載せて「はやぶさ」は本当に帰って来る。豪州政府からは、これまた世界初の免許「着陸許可証」ももらった。バトンを引継ぐ。とても重いバトンだ。どんなに怖くても、しっかり掴んで走らねばならない。一人で走っていない。信頼できるチームメンバーと一緒だ。もう、バトンを持ってコケたりしない。僕らに今できることは、帰還を信じて、カプセルを正しく飛ばすため、そして砂漠から必ず見つけ出して回収すべく、粛々と準備を進めていくことのみ。(筆者注:これから発行される、ISASニュース5月号、6月号を御参照下さい)
筆者紹介
山田(哲)先生は、地球再突入・惑星突入などに関わる熱空力や飛行力学を専門としています。最大出力1MWを誇る『アークヒータ』を駆使して開発したヒートシールドは、虎の児のカプセルをきっと熱から守ってくれるでしょう。(IES兄)
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