関係者からのメッセージ

2010年5月12日

はやぶさ君を描いて

会津大学 奥平恭子(元・宇宙研 藤原顕研究室)

ある日、研究室の先輩が
「こんな絵本を作ろうと思ってるんだけど、どう?」
と言ってチラシの裏に書かれた「はやぶさ君の冒険日誌」の原案を持って来たのは、まだ私たちが藤原研究室の学生だった頃だ。その先輩とは、冒険日誌の作者、小野瀬直美さんである。
「へぇ、探査機を擬人化した絵本ですか!これは子供達にも判り易くて、アウトリーチ(注:研究者側からの積極的な科学教育普及活動)にはもってこいですね。」
宇宙研の一般公開に合わせ、子供達や来てくれた人のために無料配布してはどうかと考え付いたものだ。

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「はやぶさ君の冒険日誌」製作に周囲の人を巻き込むために使われたチラシの裏の草案。
(絵・文:小野瀬直美)

それは、連日の地味な実験や論文執筆など、宇宙研に閉じこもってストイックな研究生活を送っている学生にとって、絶好の息抜きの機会だった。絵を描くのが好きでしょうとそそのかされ、ごく軽い気持ちで依頼を受け、まさに私にとっても“こんなこともあろうかと”自宅にしまっておいた古い色鉛筆を引っ張り出してくることとなったのである。
そんな私は言ってみれば『北斗の拳』における原哲夫さんのような立場?、いやいや貢献度はそれより明らかに下、である。ほぼ全ての原画は小野瀬さんの手によるものだし、最近では彼女自身による作画が増えてきているので、私は本当に少しのお手伝いをしただけだ。ただ一か所遊ばせてもらったのは、「はやぶさ」に必死で呼びかける関係者の顔を、せっかくだからと川口プロマネに似せて描かせてもらった点だ。
その当時の運用の様子は今でもよく覚えている。きっと外から見たら実に淡々とした様子にしか見えなかったかもしれないが、極めて冷静な情熱というか、関係者達がありとあらゆる手を尽くしてトラブルに対処していこうという姿勢は無言のうちに大事な事を教わった気がする。あくまで私がそのような印象を持った、という前提で書かせてもらうと、必ずしも常に確信があって行動しているのではないように思った。研究者や技術者の中にある、ただどうしようもなく何かに突き動かされる気持ちが、彼らを先に進めるだけなのである。結果はどうあれ、できることはすべてやる。だから、「はやぶさ」からの信号をやっと見つけた場面(2006年1月)の絵では、もっと喜びとか心情を表現しても良かったのかもしれないが、静かな運用室を知る私にはあれがリアリティある表現なのである。

イオンエンジンは何色で表現したらよいだろう?とか、イトカワの想像図はどうしよう?とか、あれこれ議論しながら描いていた頃が昨日のことのようであり、同時に遥か彼方に過ぎ去ってしまった気もする。絵本の中の絵が一つ一つ本物の画像に置き換わり、現実のストーリーに書き換えられていく。このなんともわくわくする絵本に、徐々にファンと呼ぶべき人達も増えてきた。ありがたいことである。 事実、難しい専門用語ばかりのミッション内容をよくあれだけ平易な言葉で書き綴ったものだと、一応は製作サイドにいたはずの人間でもつくづくそう思う。イラストでは分かりやすさを優先させるために、小野瀬さんと議論を重ねたのち、科学的には必ずしも正確でないイメージを採用した箇所もある。(例えばはやぶさ君が手にしたカメラなど)
さらに今だから告白するが、はやぶさ君の挿絵は、使い残しのケント紙(昔の趣味がバレますが)に丁寧に描いたものもあれば、学会の締切か何かに追われて裏紙にさっと描いたものをそのまま使ってもらったものもある。小野瀬さん自身がかなりの時間をかけて丁寧に修正してくれたのだが、絵の質感が微妙に違うのは、私の学生生活の浮き沈みの寄与もあるのだ。

私は、研究としては、「はやぶさ」ではなくNASA/JPLのSTARDUST(スターダスト)計画に関連したテーマを選んでいた。同じサンプルリターンミッションでも、そちらは彗星にフライバイし、エアロジェルと呼ばれる低密度材中に彗星からの塵試料を捕獲するという方法を採用している。
実はこのSTARDUSTミッションも、実は「はやぶさ」とは切っても切れない縁がある。当初日本も彗星からのサンプルリターンミッションを計画・検討していた(SOCCER計画)。しかしその案はアメリカに譲ることとなり、対象を小惑星としたのである(MUSES-C計画)。STARDUSTは大成功をおさめた。日本の「はやぶさ」も、と願わずにはいられない。
2003年5月9日、雲の切れ間の青空に吸い込まれるように打ち上げられた「はやぶさ」を研究室の仲間達と見送ってから早7年。私自身、「はやぶさ」とはつかず離れずの関係で藤原研で研究を続け、2006年に博士号を取り、なんとか食い扶持を見つけられるまでになった。今は宇宙研を離れ、「はやぶさ」に大いに貢献したメンバーが集まる会津大学で働いていることも、考えれば不思議な縁である。

絵本の中の“はやぶさ君”に多くの人が心情を重ねるのは、おそらく幾多の困難にもめげずに使命を果たそうとする健気さに対してなのだろう。しかし、そこには数多くの生身の人間が日夜地味な頑張りを続けたからだということを、今一度思ってみてほしい。もしかしたら、「はやぶさ」はあたかも奇跡だけによって今日までの成功に導かれたように感じる人もいるかもしれないが、一つ一つ問題に当たり、柔軟な発想で解決策を都度ひねり出していった結果だ。どこかの段階で失敗していてもおかしくはない挑戦的なミッションであったし、事実まだこの冒険日誌の結末は誰にもわからない。淡々と、現状での最善を尽くしていく。そういう姿勢が、私には魅力的だ。

(「はやぶさ」に関わる人達への敬意とねぎらいと、「はやぶさ」に気持ちを重ね応援してくれる人達への感謝を添えて)


筆者紹介

奥平先生は学生として藤原研究室に所属し、宇宙塵模擬物質の分析ならびに、それらの超高速度衝突実験をしていました。とある一般公開の準備中、とある人物に誘われたのがきっかけで、「はやぶさ君の冒険日誌」の挿絵作成に関わっています。(ばあや)

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