関係者からのメッセージ

2010年5月20日

4年ぶりに「はやぶさ」運用に復帰します!
~「はやぶさ」が、まだあまり有名でなかったころ~

姿勢系 橋本 樹明

私は「はやぶさ」(というより開発時のコードネーム、MUSES-Cミューゼス・シーと呼んだ方が適切でしょうか)の構想段階から姿勢軌道制御系担当としてチームに参加していましたが、後で述べるような状況から、ここ数年は少し運用を離れておりました。この間、「はやぶさ」はどんどん有名になり、皆様方から熱い声援が寄せられていることは大変うれしい限りですが、一方で、子供が立派になって巣立って行ったような、少し寂しい気もしています。そういう個人的な感傷は別にしても、この機会に有名になる前の「はやぶさ」について、少し紹介しておこうと思います。

私がMUSES-Cに参加したのは、今から20年近く前でしょうか。川口先生から次期工学実験衛星として3つの候補があるが、そのうちの小惑星ランデブーミッション(当時はサンプルリターンではありませんでした)をやらないか」との誘いがありました。他の2つの候補は、月面ローバミッションと金星バルーンミッションで、私は月面ローバミッションにも関わっていました。激しい議論の末、小惑星ミッションが選ばれたのですが、その後米国の探査機が小惑星エロスにランデブーすることが決まったことから、「我々は小惑星サンプルリターンを目指そう」ということになりました。この結果、月面ローバミッションの着陸技術、金星バルーンミッションの大気圏突入カプセル技術も必要となり、結局、3ミッションに関わった工学研究者のほぼ全員がMUSES-Cに参加することになりました。

こうしてMUSES-Cの開発が始まったのですが、小惑星に着陸してサンプルを地球に持ち帰る、しかもM-Vロケットで打ち上がる重量で探査機を作る必要がある、という世界的にも前例がないことへの挑戦でした。それだけでなく、新規な分野の研究者の集団でしたので、多くが衛星や探査機の開発・運用に不慣れでした。幸い私は、科学衛星の姿勢軌道制御系を広く担当していたことから、他の衛星と同様の開発・運用体制を導入していきました。探査機を打ち上げる前には、地上で1年以上に及ぶ試験をします。この試験には、「当番」と呼ばれる担当者を1週間交代で割り当て、厚めの大学ノートを用意して、朝会、夕会の簡単な議事メモや申し送り事項を記入していくことにしました。この「当番」は、探査機全体の概要やメーカの担当者の顔なども知っている必要がありますが、一方で1週間MUSES-Cの仕事に専念できる必要がありました。そこで、MUSES-Cに搭載する各機器を開発している若手研究者の約8名をあてることとし、2ヶ月に1回当番がまわってくるようにしました。これが後の、運用スーパーバイザにつながっています。

開発にあたっては、それぞれの技術開発で苦労があったかと思いますが、私の担当であった姿勢軌道制御系の状況を紹介しましょう。一番苦労したのが、着陸の際に使用する、レーザ高度計やレーザ距離計が、なかなか要求性能を満たさなかったことです。実験室内で使用する試作品は高性能なものができていたのですが、これを宇宙で使える部品に置き換えたり、実際に使用する真空環境、低温・高温環境で試験すると距離の値が変動したり、極端な場合は動作しなくなってしまうことがありました。レーザに詳しい大学の先生に相談したり、あるいは、ライバルメーカの技術者の方に集まってもらって「この件限りの秘密」の条件でアドバイスをいただいたりしました。なかでも、X線天文グループの研究者の方には、工場でオシロスコープを見ながらセンサ回路の改良まで手伝っていただきました。あまり世間では知られていない話ですが、宇宙研の理学研究者、とくに実験物理学の方々は、極限まで性能を上げるセンサの開発を日々しておられるので、彼らの電子回路技術はメーカよりも詳しいことが多々あります。そういった方々の協力も得て、MUSES-Cは小惑星イトカワに接近、着陸できたのです。

当時のMUSES-Cの評価は、必ずしも高いものではありませんでした。「そんなプロジェクトが成功するわけは無いだろう」という技術的な困難さを指摘する意見や、「誰も知らない小惑星など行ってもしょうがない。なぜ月や火星に行かないのか。」という保守的な意見などもありました。このような中で、MUSES-Cは過去の科学衛星の経験を引き継いで成長していったのです。詳しくは、ISASメルマガ第69号「「はやぶさ」は一日して成らず」(http://www.isas.jaxa.jp/j/mailmaga/backnumber/2005/back069.shtml)を参照下さい。

さて、2003年5月9日に打ち上げに成功してからは、MUSES-Cも徐々に有名になり、また「本当にイトカワに到着できるかも知れない」という期待が高まってきました。しかし往路運転も苦難の連続でした。イオンエンジンを安全に動かすためのパラメータを見つけるのに苦労しました。また、エンジンの放電によって姿勢軌道制御系のコンピュータが誤動作することがあり、自律機能を使って自らを再起動するような仕組みも開発しました。多くの人工衛星は、打ち上げ後1ヶ月ぐらいの間に初期チェックアウトと言って衛星の機能・性能の試験を行うのですが、MUSES-Cはイトカワに到着するまで何も無い宇宙空間を飛び続けるので、接近時に使用するセンサの試験ができませんでした。そんな中で、1つのチャンスは、2004年5月の地球スウィングバイ(地球の重力を使って軌道を変える)でした。地球と月に接近するため、航法カメラの各種機能の試験ができました。また、地球スウィングバイは、(航法ではなくて)広報の試験にも絶好でした。1回しか無く、また、その時の状況に応じて何をいつ発表できるかが変わってしまうイベントに対して、どうやったらより迅速かつ正確に情報を公開できるか、そして関係者にご迷惑がかからないように公表する順番にも気を遣いました。ここでの経験が、イトカワ着陸時のブログ中継にも反映されました。

そして2005年9月、いよいよイトカワに到着。ここからの3ヶ月間は川口プロマネより「外出禁止令」?が出て、ほぼ毎日運用室に詰め、(自宅も相模原市なので)相模原市、町田市の外に出たのは、3ヶ月間で2日間だけでした。イトカワに徐々に接近し、だんだん形が見えてきた時は、我々自身、毎日ワクワクして運用していたのですが、と同時に、想定していた楕円体とは違ってかなり非対称な形をしていること、表面はレゴリスと呼ばれる砂状ではなく岩盤むき出しでゴツゴツしていることから、着陸が非常に困難になることがわかってきました。また、姿勢を制御するリアクションホイールが2台故障してしまったため、運用方法の変更も余儀なくされました。毎日、当日の運用結果の解析と並行して翌日の運用コマンドの作成、また着陸降下イベントの前にはシミュレーションでの確認も必要で、少ない担当者で対応するのは大変な状況でした。結果については、皆様もよくご存じのように、いろいろなトラブルが生じてしまいましたが、とにもかくにも、2回の着地には成功しています。

実はすっかり忘れていたのですが、2005年12月の「はやぶさ」が約2ヶ月間交信不能になったその直前の運用スーパーバイザは私でした。管制卓に表示される「はやぶさ」からの電波の受信レベルがどんどん低くなり、ついには電波が受からなくなりました。そのグラフは、今でも脳裏に焼き付いています。その後は、リアクションホイールに続いて化学推進系も故障してしまったため、打ち上げ前に設計してあった姿勢軌道制御系はほとんど役に立たなくなりました。イオンエンジンやその中和器に姿勢制御を頼ることになり、私が貢献できることが少なくなってきました。同時に、その頃から私自身は、次期月着陸探査計画の方が忙しくなってきましたので、運用スーパーバイザを若手と交代しました。他にも数人世代交代したので、現在の運用スーパーバイザの約半数は「MUSES-Cのころを知らない若者達」です。

と言うわけで、しばらく運用から遠ざかっていたのですが、いよいよ来月には最終的な着陸点への誘導およびカプセルの分離という重要イベントを迎えるにあたり、姿勢軌道制御運用に復帰することにしました。また、「はやぶさ」チームの多くがオーストラリアでのカプセル回収作業に向かうため、相模原担当が手薄になるということもあり、運用側と広報担当とのインターフェイス役で貢献できればと考えています。あとは、これ以上機器が壊れないように神に祈るのみです。みなさま、今後とも応援よろしくお願いします。


筆者紹介

橋本先生は科学衛星全般の姿勢制御系に携わり、「はやぶさ」では小惑星イトカワへの自律航法誘導制御技術を担当しました。その経験をもとに、月面に高 精度で着陸し地表をローバで探査する「SELENE-2」計画も推進しています。(delta-V)

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