関係者からのメッセージ

2010年6月1日

「はやぶさ」の遺伝子

はやぶさ運用元学生当番・現スーパーバイザ 森本 睦子

1本の論文と勇気を出して書いた1通のメールがきっかけで、私は今、ここJAXAの相模原キャンパスで深宇宙探査工学の研究と、はやぶさ運用の「スーパーバイザ(※1)」として現場の仕事の修行を積んでいます。全ては「はやぶさ」の遺伝子を継ぐ「はやぶさ後継機」と、さらにその先に広がる「太陽系往復探査時代」を私たちの世代で実現させるために。

「はやぶさ」が打ち上げられた2003年、私は博士課程の学生としてJAXAの相模原キャンパスに来ました。まもなく「学生当番」として「はやぶさ」運用に携わる事に志願しました。

修士まで関西の大学院で宇宙工学を専攻していたものの、実際に自分が惑星探査の現場に携われると思っていませんでした。当時電気推進の軌道設計の研究をしていた私は、ある日川口先生の「はやぶさ」(当時はMUSES-C)の軌道計画の論文を読んで、その質問を後の指導教官となる山川先生(現在は京都大学)にしたのです。川口先生と面識はなく、別の軌道計画の論文の共著者だった山川先生のメールアドレスだけ見つけられたので、しばらく躊躇した後、思い切って山川先生にメールしてみました。何度か質問を繰り返しているうちに指導熱心な山川先生は「はやぶさ」の次の小惑星探査機の軌道を計画するチャンスを与えてくれました。その後、就職氷河期に一度は宇宙と縁のない地元関西の会社に就職したものの、惑星探査への想いを捨てきれず、数年後に会社を退職し、山川研究室の学生として相模原に来ました。

2003年5月に打ちあがった「はやぶさ」に学生が「運用当番」として携われるようになったのはその年の10月からでした。当時「はやぶさ」のスーパーバイザをしていた橋本先生(※2)が、「1週間で書ける『はやぶさ』入門~クルージングフェーズ編」という「教科書」を用意してくださり、運用当番志願者に向けた「運用当番講習会」なるものが開かれました。当時の運用は、相模原の管制室内では、スーパーバイザが一人、電気推進担当が一人、スーパーバイザの両隣で臼田などの地上局とのやりとりやコマンド送信の操作などをしてくれる運用支援のメーカーの方が二人、それに、運用当番二人が1週間交代で担当していました。初めて運用当番に入った時は、前の週にもう一人の学生と一緒に見学に行って予習をし、ドキドキしながら初日を迎えました。(今では運用当番は一人に減り、スーパーバイザは1週間交代ですが、大学の講義等で1週間連続で時間を空けられないためか、運用当番は1日ごとに交代しています。)

それから約7年、今では「スーパーバイザ」としてはやぶさの運用を行っています。その間にJAXAが統合し、宇宙研の工学委員長だった上杉先生と「はやぶさ」のプロジェクトサイエンティストだった藤原先生は退官しました(※3)。M-Vロケットは廃止になり、相模原キャンパスに太陽系探査を専門に担う「月惑星探査プログラムグループ(JSPEC)」が創設されて、「はやぶさ」はJSPEC管轄になりました。打上げ当時学生だった私は、博士課程を修了し、ポスドクとして一度はJAXAを離れ、再びポスドクとしてJAXAに戻った後、出産も2度しているので、7年というのはそれなりに長いですね。こんなに長い間運用しつづけられたのは、「はやぶさ後継機」のため、それからさらに続く深宇宙探査のため。

「はやぶさ」は世界で初めて電気推進で地球と深宇宙を「往復」するミッションです。過去のほとんどの惑星探査機とは違い、目標天体のそばを通りすぎたり、そこに滞在する「片道」探査だけでなく、さらにそこから「お土産」を持って地球へ帰ってくるのです。現在は、かつてに比べて宇宙ミッションの数は少なくなり、若手が経験を積む機会も少なくなっています。しかしその中でも若手は、かつて成功してきたものは確実に成功させ、さらに新しい挑戦をしていかなければなりません。

今、「はやぶさ後継機」の第一号と想定されている計画では、どんなに早く打ち上げられてもその帰り道には川口先生はもう退職しているかもしれません。「はやぶさ後継機」の中心となる私の世代は、「はやぶさ」を引っ張っている世代の人をいつまでも頼りにする事はできないと最初から自覚していました。だからこそ「はやぶさ」のどんな小さな事でも吸収したい、些細な事も見逃してはならない、そういう気持ちで運用してきました。学生の時から、案内が回ってきた「運用会議」にはほぼ必ず出席しました。タッチダウンの時は、自分の当番が終わった後は邪魔になるので管制室から出て廊下の窓から管制室の中を見ていました。光の速さで17分もかかる遠方で予測外の動きを見せる「はやぶさ」をなんとか操ろうと、川口先生とスーパーバイザとメーカーの方が管制卓の前で議論している姿が「一つの事に打ち込むかっこいい大人の姿」として強く印象に残りました。

まだまだ教わりたい事がたくさんあります。
でももう「はやぶさ」にとって「最後の日」が確実に近づいてきています。

思えば、「親の背中」を見続けてきたような7年間でした。教科書には載らないたくさんの事を肌で教えてもらいました。「あきらめなければ、人はここまでできるんだ」という事を学びました。これから私たちの世代がすべき事は、「はやぶさ」を作り、操った世代の意思と能力を受け継ぎ、「工学試験MUSES」シリーズである「はやぶさ」の遺伝子をきちんと継承していくことだと思っています。

先日「運用室」に置いてあるホワイトボードのスケジュール表の書き換えを行いました。1か月分の運用のスケジュールと、「スーパーバイザ」「運用当番」の名前を書くのですが、5月の前半のスケジュールを消して、6月前半のスケジュールに書きかえると、6月13日以降は空欄になりました。

私が「はやぶさ」の「スーパーバイザ」を務めるのも、あと2日を残すのみとなりました。(2010年5月21日記す)

※1 スーパーバイザとは、一言でいうと、運用の現場監督。JAXAの職員が担当している。
※2 すでにメッセージが掲載されています。
4年ぶりに「はやぶさ」運用に復帰します!~「はやぶさ」が、まだあまり有名でなかったころ~:橋本 樹明
※3 お二人のメッセージもすでに掲載されています。
「はやぶさ」宇宙開発史上のトップ7に選ばれる!:上杉 邦憲
“はやぶさ生命体”は不滅です:藤原 顕


筆者紹介

森本さんの専門は「はやぶさ」の要とも言える軌道計画です。「軌道の魔術師」川口先生の技を受け継ぐため、修行中とのことです。 研究者として、また二児の母として多忙な日々を過ごしつつも、穏和な笑顔を忘れない素敵な女性です。

ところで橋本先生の書いた教科書は「1週間で『書ける』はやぶさ入門」というタイトルですが、全部理解するには1年くらいかかりそうな濃密な内容でした。学生の皆様、教科書読んでみたいですか?じゃあ森本さんみたいに勇気を出してプロになって下さいね:-)(IES兄)

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