関係者からのメッセージ

2010年6月3日

出立前のメッセージ

電池屋~方探班の一隊員として~ 曽根 理嗣

先発隊が日本を発った。僕ももうじき後を追う。
現地では、皆で顔を合わせるタイミングは少ない。皆、砂漠に散っていく。
いざみんなで砂漠に展開するときには、水杯でも交わそうか。もちろん別れの水杯ではなく、もう一度、必ず合間見えて、成功を称えあうことを期しての水杯として。

僕が子供の頃、その宇宙戦艦は旅立った。目指す星がそこにあることを信じ、でもその星の姿を誰も見た者はいなかった。分かっているのは、片道14万8千光年、往復29万6千光年という絶望的な距離。気の遠くなる数字を前に、宣言される。
「人類滅亡まで、あと三百と六十五日、あと三百と六十五日しかない。」
満身創痍の戦艦は、メインエンジンと補助エンジンの「最大合わせて3機のエンジン」に光を宿し、這うようにして宇宙を旅していた。
コスモクリーナーDを地球に持ち帰る、そのためだけに。
「もう一度地球を見るまでは、ワシは死なん。」
艦長は言っていた。

去年、色々なことを考えていた。そんな中で手にしたキングファイルは「MUSES-C」と書かれていた。2003年10月に宇宙研に着任したとき、前任者の高橋先生から引き継いだファイルだった。

気になることは?

「とあるページ」を見直していた時、本当に正にその時に、「その人」から声がかかった。
これ以上にないほどに丁寧に、本当にすごく申し訳なさそうに言った。
「曽根先生が電池屋さんであることを知っていて申し訳のないお願いです。専門分野と違うお願いで本当に申し訳ないのですが、『はやぶさ』のカプセルの回収のためにお力を、お貸し、願えないでしょうか・・・・・。カプセルは最後にビーコンを出します。これをアンテナで捉える必要があります。オーストラリアの砂漠の中にアンテナを立てて、これを使って位置の特定をします。ご専門が電池であって、専門外のことにお時間を頂くのは本当に申し訳ないのですが、砂漠に分散する各電波局でその場での判断が必要な時に、プロジェクト的な考え方ができる人を募っています。お願いできないでしょうか。」
シビれた。山田先生の、丁寧で物腰が低く、この上なく穏やかな言葉が、アツかった。
宇宙屋として返事は他にない。
「僕は電池屋の前に、宇宙屋です。お声がけを頂いたことを心から感謝します。お役に立てるように頑張ります。一所懸命に勤めさせてください。」
家に帰ってカミサンに言った。「今日、熱い話があった。俺、幸せ者だ。」

カプセルの蓋は閉まっている。心配性の僕だけれど、確信を持っている。その瞬間に居られたことは、僕の誇りだ。
電池メーカの方、システムメーカの電源担当の方、そしてカプセル/はやぶさ関係者と一緒に、皆で深夜にモニターを睨んだあの日のことに、僕達には確信がある。
「蓋は閉じている。」
そのカプセルを拾いに行く。

昨年6月のウーメラは寒かった。
かつてバイコヌールに「れいめい(INDEX)」のセッティングで行った時には、黄色い砂漠にラクダが歩いていた。あの時は暑かった。
ウーメラは、赤い大地にカンガルーが跳ねていた。夜の寒風は身に凍みた。「はやぶさ」はもち堪えるのか、来年も本当に僕達はこの地に戻って来ることができるのか、未知のことに備える準備のように思えた。

11月初旬、イオンエンジンの不調が伝えられた。そのときのメッセージは、宇宙屋であれば誰もが「とうとう、この時が来てしまった」かと、認識せざるを得ないものだった。
そんな中でも訓練は続いた。救急救命訓練に参加した。K中先生も来ていた。
皆、兎に角できることを進めていた。
12月の内之浦訓練の直前に、召集されていた会議があった。その直前、K中先生から会議召集に関連してメールがきた。文面に「一縷の望み」という文字が書かれていたように記憶している。まだ何か、可能性があるのだろうか。
会議では淡々と、イオンエンジンの再起動とこれからの軌道計画が告げられた。予断は許さないことを誰もが知っていた。でも、感動していた。

内之浦訓練にGOが出た。

内之浦では、皆、明るかった。湾を挟んだ向かいの都井岬の人たちと、一体感を感じつつ、信頼に根付いた訓練が進んだ。
夜、みんなで、Webに紹介されていた動画を見ながら、盛り上がった。その動画は、「こんなこともあろうかと」というメッセージで紡がれていた。
「こんなこともあろうかと」
そこにはK中先生もいた。「凄いよ。本当に凄い。」
(いいな~、K中先生は真田さんか~、いいな~。俺は佐渡酒蔵か~。う~ん、見栄えもキャラも、否定はできない・・・)。
今年の4月、いよいよ大掛かりにできる最後の訓練を相模原でこなし、機材の梱包が進んだ。色々な分野から集められたみんなだけれど、皆、川原隊長指揮のもと、「電波が出さえすれば必ず捕まえてみせる」という強い意識と自信を備えた集団だ。

第一陣の出発の前、一つの区切りになる運用を終えたK中先生から、方探班宛に短いメールがきた。
「いよいよ出番です。よろしくお願いします。」
K中先生、いつも思うけど、かっこ良過ぎだよ。

「できるだけ過酷な場所に、送り込んで欲しい。」これが僕の希望。
人類史に残る現場に、僕も向かう。これも一つの奇跡。

いざ行かん、約束の地へ。


筆者紹介

曽根さんはこれまでもメルマガなどで『宇宙の電池屋さん』シリーズとして、専門の宇宙機用電池について解りやすく尚かつ火傷しそうな熱い文書を書いておられます。
http://www.isas.jaxa.jp/j/mailmaga/backnumber/50on.shtml#sone
「はやぶさ」のバッテリーの大仕事、故障後の再充電を行ったのはとても有名ですね。

電池のプロフェッショナルでありながら宇宙飛行士の夢も追いかけ、さらにサッカーチームのコーチまでこなすその行動力(と体力)には脱帽です。豪州のお土産話が今から楽しみですね。(IES兄)

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