関係者からのメッセージ

2010年6月12日

「MUSES-C」以前

スーパーバイザ 早川 雅彦

今、私は「はやぶさ」となった「MUSES-C」地球帰還運用のスーパーバイザのひとりとなってその最後を見届けようとしている。
初めてスーパーバイザとして運用したのが、「はやぶさ」が行方不明になった後に再び通信可能になり、地球帰還時期が3年遅れると決まってからだから、かれこれ4年のキャリアとなった。それまで私は別のプロジェクトに力を注いでいたため、残念ながら「はやぶさ」のイトカワへの到着やタッチダウンといった劇的なイベントの時は傍観者という立場でしかなかった。

しかし、まったく縁がなかったかというとそうではない。「MUSES-C」がプロジェクトとして認められるのに先立つこと数年前、今から、かれこれ20年以上前のことになるが、まだ名古屋大学の大学院生だった私は、宇宙研に移ったばかりの指導教官である水谷仁先生の研究室をしばしば訪れていた。投稿論文をチェックしてもらったり、直接議論をしたりするためである。また当時、計算機シュミレーションをやっていた私にとって宇宙研の大型計算機環境は非常に魅力的であった。

たまたま訪れたある日、小惑星探査の可能性を工学の先生が検討したので話を聴いてコメントをすることとなった。その先生というのが川口淳一郎助教授(当時)であった。そこでは(まだ開発を始めたばかりの)M-V型ロケットの性能があれば小惑星アンテロスにそれほど多くではないがペイロードを持って行くことができ、並走(ランデヴー)して科学観測ができるという話がなされた。理学としてどんなサイエンスが可能か考えてほしいということであった;その時の聴衆は水谷教授、藤村助手(当時)、私のわずか3人で あった。

何年か後、宇宙研に助手として赴任した私は本業のLUNAR-Aペネトレータの仕事を行いつつ、小惑星ランデヴー計画の提案書の作成に理学メンバーとして加わった。当時、唯一の固体惑星の研究部門だった比較惑星学部門のスタッフは全員(上記3人)やる気満々だったことを思い出す。NASAの撮った小惑星の写真がわずか1、2枚しかない頃のことである。この提案書は残念ながら宇宙工学委員会では採択されず、その隙にNASAがディスカバリー計画でほぼそっくりな計画:NEARの実施を決めてしまった。

「世界初」でないと意味がない。「世界一」でないと価値がない。
そんな気持ちを込めて小惑星探査計画は未曾有のチャレンジングな小惑星サンプルリターン計画:「MUSES-C」計画として復活、実現することとなったのである。私は帰り道のスーパーバイザなので、タッチダウン前の科学観測データで論文を書く機会もなかったし、サンプルが無事に帰ってきても分析をする権利はない。それでもスーパーバイザを買って出たのは、ランデヴー計画の提案書を作った時のワクワク感が忘れられなかったからだと思うのだ。


筆者紹介

早川先生は固体惑星物理学と月惑星探査の専門家です。太陽系の起源考える上で重要な惑星の内部構造探査に興味を持ち、LUNAR-Aプロジェクトの頃から宇宙研で研究を行っています。「はやぶさ」ではスーパーバイザとして、日々の運用を指揮してくれました。

「はやぶさ」運用の最終日には、着陸許可をくれた豪州に敬意を示してオーストラリアナショナルチームのラグビージャージを着て運用にあたるなど、素敵な気遣いができるジェントルマンです。(IES兄)

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