関係者からのメッセージ

2010年6月15日

帰還を終えて

NECはやぶさシステムマネージャ 大島 武

1996年のGW明けに、かねてから希望していたシステム部門に異動となり、初めて担当したのが、MUSES-C(はやぶさ)でした。右も左も分からず、「リプロって何?」などと言いながらも、がむしゃらに取り組んでいたことが思い出されます。(注:リプロはReproduceの略で、データレコーダを再生すること。)

2003年5月に打ち上げられ、無事にイオンエンジンも立ち上がると、私自身は、金星探査機PLANET-C(あかつき)の開発の方に軸足が移ってしまいましたが、それでも、2004年の地球Swing Byの時や、2005年のイトカワ ランデブー/タッチダウンの時などには、軸足を戻し、(時には)必死で対応してきました。

ここ暫くは、「あかつき」の打上げもあり、「はやぶさ」から離れてしまっていましたが、最後の最後、カプセル分離で出番が回ってきました。

少しずつ思い出しながら各種手順書を作っていくうちに、「はやぶさ」との間にあった距離感が消え、かつて自分の手足のように操っていた時の感覚が戻ってきました。傷ついたことによる制約条件を裏技で逃げ、議論に議論を重ねてパラメータを設定し、わくわくするような気持ちで当日を迎えました。

最後のカプセルコマンドが打たれた後、カプセル担当からバトンを受け取り、カプセル分離に向けての一連の操作を、(ISAS殿の承認の元)指揮することになりました。10分間という時間の制約の中で、まずは、2006年以来ずっとOFFであった機器を立ち上げ、久しぶりのテレメトリを目にします。ついつい声に出し、自分に言い聞かせるように、テレメトリの説明をしてしまいます。そして、カプセルのヒータをそっとOFFし、カプセルケーブル切断の指示を出します。ラインが切断され、カプセルの温度テレメトリが全てFFとなります。そして、セットバック。切断されたケーブルを、念のため、カプセルから引き離す操作です。この時、いくつかの温度センサが影響を受けて異常となりましたが大丈夫です。2日前に計測したDUTY比(ON/OFFの比率)で、前日にバックアップモードを仕込んであります。温度は見えなくとも、これまでと同じDUTYでヒータが入り続けるのです。そして、残り3分という時点で、「はやぶさ」に時刻指定コマンドを設定し、定刻にカプセルを分離させます。

「カプセル分離!」テレメトリの変化を見て、声には出してみましたが力が入りません。ステータスが変わったからといって、本当に分離したかどうかは分からないからです。そこに、「マヌーバモニタ変化!」と軌道決定担当から声がかかります。「はやぶさ」が、カプセル分離の衝撃を受けて姿勢を崩し、地上に下りてくる電波の周波数が、わずかに変化したのです。カプセル分離の直接的な証拠です。管制室の全員が、思わず拍手を送ります。

カプセル担当はここで退場しましたが、「はやぶさ」本体側は、まだまだやることがあります。姿勢の変化を抑えるコマンド、ONC(Optical Navigation Camera)の立ち上げ、露出時間を変えながらの地球撮像トライ、そして、長らく冬眠していた機器との最後の対面... いくつかの作業を、次から次へと、並行して流していきます。

これらの努力は、最後の最後まで続けられました。そして、ついに、はやぶさはスカイラインの向こうに。QL(Quick Look)には、最後のテレメトリが残ります。QLをOFFさえしなければ、君が、あたかもそこに存在し続けるかのように...


筆者紹介

大島さんは「はやぶさ」のシステムを熟知しておられる大変頼もしい存在です。「あかつき」初期運用でお忙しい中,最終運用の手順書を準備し、想定される不具合に入念に備え、万全の体制で大島さんが送り出したカプセルは、見事なまでに完璧なノミナルシーケンスで回収隊の元に戻ってきました。

カプセル分離成功の陰には、パラメータの慎重な設定やバックアップモードの仕込みなど、常に大島さん達の細やかな配慮がありました。コマンド送信時の緊張、分離確認の高揚、そして探査機が山に隠れ内之浦局の最後の追跡管制が終了するまでの、あの数時間の管制室の空気が凝縮された文章です。(delta-V)

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