関係者からのメッセージ
2010年6月13日
駒場、チリ、豊山、土岐、守谷、内之浦
サイエンス・チーム 高木 靖彦(愛知東邦大学)
ちょうど25年前の1985年6月29日に、今は懐かしい駒場の45号館で「小惑星サンプルリターン小研究会」が開かれたことは 齋藤さんのメッセージ に紹介されていますが、その集録や、その年の11月にかけて5回開かれた「小惑星勉強会」(私自身は、この勉強会には参加できませんでしたが)の報告を眺めてみると、「はやぶさ」に直接つながる議論が25年前から行われていたことがわかります。例えば、電気推進を用いてErosにランデブーを行う案とか、発見まだ間もない1982DBについて、発見者 (E. F.Helin)による論文を基に軌道の議論が行われていました。この1982DB は、その後、4660 番の確定番号とネレウスという名前が付きました。そう、MUSES-C 計画の最初のターゲットだった小惑星です。
このネレウスに関しては、MUSES-Cの計画が始まった後の1997年8月に、安部正真さん、石橋之宏さんとチリにあるヨーロッパ南天天文台(ESO)まで自転周期を決めるための観測に出かけたことも懐かしく思い起こされます。ESOの多くのスタッフの協力のもと観測は成功し、15.1時間という自転周期を求めることができました。MUSES-Cのターゲットは、1989ML、1998SF36(イトカワ)へと変わりましたが、ネレウスが行き易い小惑星であることには変わり無く、いつかは我々の観測結果が役に立つ時が来ると期待しています。
「時」が来るといえば、土岐や豊山(名古屋空港)でのサンプラー実験も思い起こされます。名古屋空港に隣接する工場に本拠を置く航空会社の小型機を使って、パラボリック飛行による微小重量環境でサンプラーの実証実験を行ったのは1998年6月のことでした。関係者の中で一番近くの機関に所属する者ということもあり、藤原さんが中心となった実験チームに加わり、講義の合間に豊山町の工場まで約2週間通いました。なにせ飛行している航空機のキャビンで火薬を燃焼させて弾丸を発射する実験ですから(もちろん実験は全てチャンバー(真空容器)の中で行い、弾丸がチャンバーの外に飛び出すことは絶対にありませんが)、法律的な問題等クリアしなければならない事も多く、相当に厄介がられた事は覚えています。しかし、パイロットを初めとするスタッフ皆様のご協力によって実験は成功しました。微小重力下ならば、弾丸によって飛び散った破片をホーンを使って収集できることを実証できたわけです。
その後この実験は、岐阜県土岐市の第三セクター・日本無重量総合研究所(通称MGLAB)の落下塔を使って続けられ、収率等の検証が行われました。ここも私が一番近くだということもあり、講義が終わった後の夜討ち、講義前の朝駆けで何回も通いました。この施設は、高さ150mの真空チューブの中をカプセルが落下し、その中で4.5秒の微小重量環境が実現できるというものでした。ここでも多くの優秀なスタッフの協力により多くの成果を挙げることができました。その経験とサンプラー実験の機材を使って、私の研究テーマとして「微小重力環境下でのクレーター形成実験」を数年にわたって行うこともできました。しかし残念なことに、MGLABは「諸般の事情により」、今年の3月で運用を終了してしまいました。
落下塔施設という点では、北海道上砂川町の地下無重力センター(通称JAMIC)という、より大型の施設でもミネルバの実験が行われたようですが、こちらも「はやぶさ」打上げ直前の2003年3月に閉鎖となっています。豊山町の航空会社(工場を持つ親会社)や自衛隊が使う滑走路が無くなることは無いでしょうが、実験機が間をぬって離着陸をしていた名古屋空港の定期路線のほとんどは中部国際空港に移り、残っていた路線も航空会社(の親会社)の経営危機により廃止が決まったようです。そう言えば、打上げのために何回か行った内之浦も、平成の大合併により自治体としての名前は消えています。臼田も 町名は消えています。私が主に担当した近赤外線分光器(NIRS)の試験のために頻繁に通った、茨城県守谷や川崎市のメーカさんの工場も、工場そのものや部門が他所に移っています。計画開始以来の年月が長いことを改めて感じさせられます。
ながながと思い出話をつづってみましたが、MUSES-C の色々なことに関わり、様々な場所へ行ったなという思いと、その計画が終りに近づいているという感慨を深くします。と同時に、多くの観測所や研究施設のスタッフ、地域の方々の協力があって、計画が遂行されている事を改めて考えさせられました。その方々の思いも載せている「はやぶさ」の最後の大仕事、カプセルの大気圏再突入と回収が成功に終わることを強く願わずにはいられません。
筆者紹介
高木靖彦先生は、サンプラー開発をはじめ、「はやぶさ」のサイエンスで広く活躍されました。
「はやぶさ」計画の萌芽期である25年前からずっと小惑星サンプルリターンに関わってこられ、小惑星の衝突現象というご専門を活かし多方面からご尽力いただきました。現在は「はやぶさ2」計画で検討している人工クレータ生成のサイエンスを強力に推進して下さっています。(delta-V)
- (新しいウィンドウが開きます)はやぶさ帰還ブログ(Hayabusa_JAXA)on Twitter